【9月の予定】

2学期もどうぞよろしくお願い致します!

●自習可能時間
平日 16:30〜21:30
(火曜のみ18:30〜21:30)
土曜  14:00〜21:30

※カウンセリングがや面談などで予定が変わることがあります。

●お休み
29日(木)、30日(金)

【6月の予定】

今月もよろしくお願い致します!

●自習可能時間
平日 16:30〜21:30
(火曜日のみ18:30〜21:30)
土  15:00〜21:30
日  10:00〜16:30

●お休み
29日(水)、30日(木)

貯めておく

幼い頃から思春期までの人間にとって極めて重要な期間に、どれくらい「大切なもの」を貯めておけるかがその後の人生のほとんどぜんぶに関わってくるのではないかと私は思っています。

「大切なもの」というのは、人に優しくされたり、大切にしてもらったり、うれしいことがあったり、頑張ってみたことが成功したり、誰かの力になれて感謝されたり、お腹が痛いくらい誰かと笑ったり……etc
どれだけ細かなことでもいいし、家族・友人・他人などに関係はありません。その人が思い出した時に顔がゆるんであたたかくなるものであれば何でも。

それさえ心の中にコツコツと貯めておくことができれば、その先にどれだけ絶望的なできなことが起きても大丈夫なような気がします。嫌なことが起きても落ち込まないというのではありません。地の底まで落ち込んでも、最後の一歩は決して踏み込まないだろうということです。

人を殺しちゃったり、自分で死んじゃったり、あるいは心の病気に深く深くまで蝕まれたり。

もちろん「大切なもの」ばかりで埋めることはできません。失敗して、嫌な思い出も、消したい過去も山盛りできますが、それと同じくらいの「大切なもの」を貯めておけばいいのです。人によっては「大切なもの」の質でその量なんてカバーできてしまうでしょう。

何でだと言われたら何でだろう?と私も首を傾げてしまうのですが、このことについて私はかなりの確信を持っています。
「将来困らないように」ではなく「将来絶対困るんだから今のうちに貯めておこう」と、そう思って仕事をしています。ここに来てくれる人全員にそう思って接しています。

「ああもう無理だ終わりだ」と思った時にそれらが燃料になってくれます。
「あんな楽しいことがあったんだから頑張ろう」とかそんなんじゃないです。絶望のときにそんなことは思い出しません。
最低限の自分を守る行為を無意識にする燃料になってくれるのです。たぶんそんな感じだと考えています。

なみだとごはん

先日、私がごはん屋さんで五目チャーハンをもぐもぐ食べていると、少し離れたカウンターに座っている大人の女の人が、涙をぽろぽろこぼしながら、目をごしごしふきながら、マーボー豆腐を食べていました。

このように、泣きながらごはんを食べている人を何度か見たことがあります。
そんな姿を見たら、わたしはいつもぎゅうぅぅっと苦しくなって、私の中にもきっとある優しい気持ちがじゅわ〜〜んと総動員で込み上げて来て、何だかいろんな過程をすっとばして「泣いてるねぇ。つらいのねぇ。大丈夫だよぉ〜泣かないで〜」とトントンしたくなってしまいます。しかし知らない人なので堪えます。

きっと自分もそれを経験しているからなんだと思います。一人暮らしの家で一人で泣きながら食べたこともあるし、ごはん屋さんでうどんだかそばだかを食べながら泣いたこともあります。
今思い出すと恥ずかしいけど、そのときは自分の気持ちに全集中してしまっていてどうしようもないのです。

泣きながら食べるというのは、すんごくつらかったり悲しかったりするんだけど、何とかそれを埋めようとしたり前に進もうとしたりしているときで、必死で自分と向き合っているときなんだと思います。

だからそういう人を見ると、男も女も関係なくとっても守ってあげたくなってしまうのです。

いま私の教室に来てくれているちびっこや女の子や男の子が、これからそういう場面になることもあるんだろうなぁと思うと、胸がきゅんとします。
その時にはきっと言えないから、今のうちにたくさん「大丈夫だよ〜」と言っておきたいなと思います。

教えないようにして教える

「教えないようにして教えることでしか身につかない」というようなことを何かの本で読んで、とても印象に残っています。うまく説明することはできないんだけど、自分もこのような仕事をしている中で「そうかもしれないなぁ」と思うことがしばしばあります。

「教える」というのはどこか一方的な感じも含んでいると思います。もちろんどの場面にもあてはまるわけではありませんが、ちょっと頭の片隅にそのことを置いておかないといけないなとは思っています。
相手がいる場合、どれだけ一生懸命でも一方的なことはあまり残らないと、なんとなくこれまでの経験で私はそう思っています。

だから、例えば相手に「これは分かってもらわないと困るな」というところほど、相手と同じ目線になって一緒に考えるというような方法にいつの間にかなっていました。
「教える」だけでは、相手は退屈だったり、別に知りたくないし、そんな風に思わないし、とかいろいろ考えるんだと思います。
そういう雑念をどかすためには「一緒に考える」「一緒にやる」というスタンスがいいのかもしれません。

この前、カフェでお隣に座った男女が話しているのを聞いていると(聞こうと思って聞いていたのではありません。私は本を読んでいたので勝手に耳に入ってきました)、
女の人がポロリと言った悩みに対して、男の人が一生懸命自分の考えを話していました。
俺ならこうするよ、こうしてた人を知っているよ、こうした方がいいんじゃない?だってこう思うんでしょ?ペラペラペラペラ……
きっと女の人のことを思って一生懸命伝えているんだろうなと思うのですが、女性の方はうん、うんと相槌を打つだけで特に心が動いた様子はありませんでした。
男の人がトイレに行った時に「ねぇねぇ今の人が言ってたこと分かった?」と話しかけたいくらい一方的な会話で、あらためて上記のようなことは大切なのかもと思ったのです。

自分を優先する

こうやって生きていると、自分が苦手なことや得意なことが少しずつわかってきますよね。
好きと嫌い、得意と苦手、やりたいやりたくないとか。
私ってそういうことにだいぶん鈍い方だと思うのですが、それでもだんだん分かってきたような気がします。

というのも、なぜ鈍いのかというと余計な気持ちが入るからだと思うのです。
「みんなが好きって言ってるから私はイマイチだけど良いものなのかも」とか
「やりたくないけどみんなやってるし、これは私のわがままなのかも」とか
「まわりにこう思われそうだからこうした方がいいのかも」とか。

余計なことを考えて、焦って、とりあえずジタバタと行動するパターンが多かったのですが、それでうまくいったり、気持ちが晴れたりすることって思い返すとほとんどないんです。結局「やっぱりダメだったな〜」とがっくりくることばかり。

自分の思うままにすることが心にも体にも良いし、そして結局、それしかできないんだなぁとようやく分かってきました。余計な声は変わらず聞こえてきますが、それをいかに焦らず右から左に受け流すかが重要だと思います。

皆さんもこのような場面、例えば誰かに何かを言われて「私が間違っているのか?言われるようにした方がいいのか?」と分からなくなったとき、自分にどうしたいかをよく聞いてみてください。そしてぜひ自分がしたいと言った方を優先してあげてください。
当たり前のようなことですが、周りの目や罪悪感でむずかしいこともあると思います。でも大丈夫です。その選択を積み重ねていくことで楽になっていくし、それは周りにもちゃんと伝わります。

路をつくる

例えば、仕事で上司に何か注意をされたとします。
「ここが悪かったのか、次から気をつけよう」と思うだけで良いことなのですが、そこで
「この上司は自分のことが嫌いなんだ」と思ってしまう人もいると思います。

こう考えてしまうとしんどいですよね。注意されたこと以外のことも気になってしまうし、自分だけがどんどん追い込まれて辛くなっていくのだろうと思います。

冷静に考えると『相手が嫌いだから注意をする』人だとしたら、その人がおかしいのです。そんな人の言うことは聞き流して全然オーケーなんです。
実際に今まで「そんなの気にしなくていいよ」というアドバイスをもらったこともたくさんあるのではないでしょうか。

でも普段から「この人は自分のことが嫌いだからこう言うんだ」という方向に考えてしまう人は、頭の中で「自分を責める回路」がぶっとく立派に出来上がっているので、なかなか別の回路へ水が流れません。

回路がないところにそもそも水は流れません。普段から路を作っておくことが大切です。
「こういう考え方もあるなぁ」とか「こう考えられたら楽だなぁ」とかそういうものをコツコツと貯めておいてください。それで新しい路を準備しておくことが、このような場面を繰り返してしまう人にとっての一つの解決方法だと思います。