【7月の予定】

今月もよろしくお願い致します。
※夏休み期間は午前中から開ける日もあります。
予定がわかり次第更新します。

●自習可能時間
平日 16:30〜21:30
土  15:00〜21:30
日  13:00〜20:00

●お休み
29日(木)、30日(金)、31日(土)

自分を優先する

こうやって生きていると、自分が苦手なことや得意なことが少しずつわかってきますよね。
好きと嫌い、得意と苦手、やりたいやりたくないとか。
私ってそういうことにだいぶん鈍い方だと思うのですが、それでもだんだん分かってきたような気がします。

というのも、なぜ鈍いのかというと余計な気持ちが入るからだと思うのです。
「みんなが好きって言ってるから私はイマイチだけど良いものなのかも」とか
「やりたくないけどみんなやってるし、これは私のわがままなのかも」とか
「まわりにこう思われそうだからこうした方がいいのかも」とか。

余計なことを考えて、焦って、とりあえずジタバタと行動するパターンが多かったのですが、それでうまくいったり、気持ちが晴れたりすることって思い返すとほとんどないんです。結局「やっぱりダメだったな〜」とがっくりくることばかり。

自分の思うままにすることが心にも体にも良いし、そして結局、それしかできないんだなぁとようやく分かってきました。余計な声は変わらず聞こえてきますが、それをいかに焦らず右から左に受け流すかが肝です。ムーディー勝山を脳内再生です。

皆さんもこのような場面、例えば誰かに何かを言われて「私が間違っているのか?言われるようにした方がいいのか?」と分からなくなったとき、自分にどうしたいかをよく聞いてみてください。そしてぜひ自分がしたいと言った方を優先してあげてください。
当たり前のようなことですが、周りの目や罪悪感でむずかしいこともあると思います。でも大丈夫です。その選択を積み重ねていくことで楽になっていくし、それは周りにもちゃんと伝わります。

路をつくる

例えば、仕事で上司に何か注意をされたとします。
「ここが悪かったのか、次から気をつけよう」と思うだけで良いことなのですが、そこで
「この上司は自分のことが嫌いなんだ」と思ってしまう人もいると思います。

こう考えてしまうとしんどいですよね。注意されたこと以外のことも気になってしまうし、自分だけがどんどん追い込まれて辛くなっていくのだろうと思います。

冷静に考えると『相手が嫌いだから注意をする』人だとしたら、その人がおかしいのです。そんな人の言うことは聞き流して全然オーケーなんです。
実際に今まで「そんなの気にしなくていいよ」というアドバイスをもらったこともたくさんあるのではないでしょうか。

でも普段から「この人は自分のことが嫌いだからこう言うんだ」という方向に考えてしまう人は、頭の中で「自分を責める回路」がぶっとく立派に出来上がっているので、なかなか別の回路へ水が流れません。

回路がないところにそもそも水は流れません。普段から路を作っておくことが大切です。
「こういう考え方もあるなぁ」とか「こう考えられたら楽だなぁ」とかそういうものをコツコツと貯めておいてください。それで新しい路を準備しておくことが、このような場面を繰り返してしまう人にとっての一つの解決方法だと思います。

学校

これまでに、不登校だった子が学校に通うようになる様子を何人か見てきました。
目に見えて変化するその子の姿にいつも驚いてしまいます。
目が力強く光るようになり、背筋が伸び、声にハリがでるのです。

そのような姿を見ていると、学校というものは子供の心身にとても大きな影響を与えているのだなと考えざるを得ません。
誤解をしないでほしいのですが、私は決して「学校に行くのが良い」と言いたいのではありません。(私が近くで見させてもらった子はたまたま学校に行くことで良い変化があらわれた子でしたが、その逆で学校に行かないことで生き生きと過ごせるようになる子も必ずいるし、原因によっては様々だと思います。)

子供の生活の中の「学校」という存在は良くも悪くもすごく大きいんだなと思うのです。
ともだちとのこと、先生とのこと、勉強のこと、部活のこと。すべてが学校の中で行われています。どの部分で問題があったとしても大きな枠が学校なので、どこか別のところへ逃げにくいのではないかと思います。

大人になると、枠をいくつか持つことができるし、その中で自分に合うように加減ができますよね。例えば仕事の枠、趣味の枠、プライベートの枠など。仕事で合わない人がいるけど、プライベートの友達は話を聞いてくれて分かってくれるし、まぁいっか。とか。

「学校がすべてじゃないよ」というのはもっともです。でも、その言葉をかけるだけでは少し無責任な気もします。分かっていても、いろいろと自由がきかない子供にとって、その考え方で自ら対処していくのは実際難しいんじゃないかなと思います。まわりの人の気づきや言葉やはたらきかけが不可欠です。

すべてじゃないんだけど、でも、実際いま子供がいる場所は学校というフィールドです。
それを分かった上で、現実的に問題に対して向き合っていかないといけないなと気をつけています。

【6月の予定】

今月もよろしくお願い致します。
面談やカウンセリングが入り、自習ができない時間は随時書き込んでいきます。

●自習可能時間
平日 16:30〜21:30
土  15:00〜21:30
日  13:00〜20:00

18(金)は20:00まで

●お休み
29日(火)、30日(水)

午前5時

最近、朝の5時ごろからうちのわんこと散歩をしています。

6月に入り、8時や9時だともう蒸し暑くてわんこがしんどそうなので、だんだん早い時間にずらしているのです。
はじめは「暑くなる前に早く行かなきゃ」と義務感があったのですが、今や早朝散歩にハマりつつあります。

「早朝の空気=まだあまり人が吸ったりはいたりしていない」イメージが私の中にあるので、そこが良いんです。
人も車もほとんど見かけないので、1日の始まりのサラピンな空気だ〜と思うと、澄んでいるようですっきりした気分になれます。

また、早朝に出会う人には「あ、そちらも朝早いんですねぇ」と勝手に親近感を感じています。
何も持たずにタバコを吸いながら散歩している人、ゴミを拾いながら歩いている人、たぶんイヤホンで英文を聴きながら大きな声でそれを復唱しながら歩いている人。それぞれの朝の日課を見れてそれもおもしろいです。

そんな感じで早朝の散歩を楽しんでいます。家に戻ったらまたわんこと一緒にもぞもぞとベッドに戻ります……。

生活の一部を少し変えると、なんだか気分も変わる気がします。風通しが良くなるような。
自分に合っていることを取り入れたり、または手放したり、取り替えたり、些細なことでも変化があると気持ちが変わるんだな〜と実感しました。
もし何か考えが煮詰まっていたり、もやもやしていたり、行き詰まっていることがあるなら、それに直接関係していないことでもいいので、日々の生活に少し変化をつけてみてください。

関係すること

『コントロールするのではなく、関係する』
最近動画で聞いた、河合隼雄さんが講演でおっしゃっていた言葉です。

人間関係において、徐々に考え方が変わってきたな〜と自分でも思うことがあります。
それは「相手は変えられない」ということです。

遡れば遡るほど「こうした方があなたにとって絶対良いに決まってる」とか「あなたのことを思って」とか真剣にそう考えて、相手を変えようとする言動をしていました。でも、今思い返してもそれで変えられた試しなんて一度もありません。
相手も「そうかも。そうするわ!」と口では言っても結局そうはならないんです。自分発信で変わろうと思わない限り変われません。その”自分発信”のきっかけなれることはあると思いますが。

そんなことを何度か繰り返し、ほかにも人からの話を聞いたり本を読んだりしているうちに「あぁ、無理なんだ」と考えるようになりました。

相手は変えられないとなると、自分の見方や考え方を変えるほかありません。
もちろん心の中では「絶対こうした方がいいと思うけどな〜」と考えたりもするのですが、
「まぁ色々事情があるだろうし、この人の考えもあるだろうし。私がとやかく言うことではないよな〜。うん、見守ろう」と、さっと切り替えます。

でも『コントロールするのではなく、関係する』という言葉を聞いたときに、
「今の私は、まぁコントロールはしていないにしても、関係することをすっぱり切り捨てているのでは」と思ったのです。

私自身(仕事ではなくプライベートで)人と関わることや深く関係を築くことが苦手という自覚があるので、ズキッと痛いところをつかれた感触がありました。

人と関係することって、いろいろな感情を味わうことになるし、不安定だし。私の頭にパッと浮かぶのはネガティブなことばかり……ということに、これを書いていて気づきました。
そういうものを「切り替える」とか「見守る」とかそういう考え方で見ないようにしている部分もあると思います。

うわ〜、本当に今書いていていろいろなことを考えました。これは私の課題であります。

おじいさん

先日スーパーでお会計に並んでいた時、隣のレジで店員さんにガミガミ文句を言っているおじいさんがいました。

何となくその内容を聞いていると、
『カゴの中に自分(おじいさん)の鞄を入れていて、それをどかしてくださいと店員さんに言われた』ことが気に障ったらしく『そんなん言われたの初めてじゃ!』と怒っている模様。

「わ〜おじいさんめっちゃ怒ってらぁ〜」と思いながら私もお会計がが終わって袋に詰めてると、おじいさんも終わって鞄に詰め始め、そのまま帰ると思いきやサービスカウンターに直行。そこにいる店員さんに、自分がお会計をしたレジを指差して「あの店員アカンで」とわざわざ告げ口をしに行ったんです。何がアカンねん……。

私が勝手に考えたことですが、自分が思っていることと違うことを他人から指摘されたとき、それが直接怒りにつながる回路になりがちなのかなと思います。柔軟に対応したり、もしかしてなんか迷惑かけたかな?と想像したりする回路はほそ〜くなってしまっているのかもしれません。
自分が正しいことを曲げたくないし、悪いことをしたって相手に分からせたいと思うからわざわざ告げ口までしたのかな。
とか、帰りの車の中では私はおじいさんのことで頭いっぱい。私もどうかしてます。

こんな30そこらの小娘(おじいさんからしたら)に生意気にもいろいろ考えられて、おじいさんごめんね。と思いながらも「年取っても柔軟でありたい」と強く思った出来事でした。

親切にしてもらったとき

人から親切にしてもらったとき、ソワソワしてしまうことってありませんか?
私はいつもそうなってしまうんです。

ソワソワと落ち着かなくなる感じ……例えがすごく変ですが、よくアニメとかである爆弾を手渡された時みたいな。
火がついていて、もうすぐ爆発しちゃう!って手に持ったままあたふた走り回る図。そんなイメージです。

そのやさしさを「ありがとう」って受け取るだけでいいのに。なんでそれができないんだろう?
感謝をしていないというわけではなく「うわ、やさしくされちゃった、返さなきゃ!」という焦る思いが「嬉しいな」という思いとセットで湧いてくるのです。

きっと、いただいたものを自分の中に留めておくことに何か不安があると思うのです。自分でもよく分からないのですが、その先は『自信の無さ』につながっているような気がしています。どうつながっているんだろう?
自分がされて嬉しかったこととして大切にしまっておいて、それを使う機会があれば惜しみなく使えばいいだけだけなのに。どうして焦るんだろう?
同じような人がいたら教えてもらいたいです。

そういう場面では、意識して落ち着くようにしています。
何だか私のモヤモヤを書いただけになってしまいましたが、同じような思いがある人もいるんじゃないかなと思います。

尽きない悩み

ひとつ問題が解決して「あ〜スッキリ」と思っていたら、また次の問題がぴょこんと芽を出す。
その繰り返しだなぁと、最近思うんです。もうほんと勘弁してくれ!って感じなのですが。

もしかして、私って何かしら悩んでおきたい性格なのか?と思ったり。
じゃあ自分はいったい何を次から次へと悩んでいるんだろう?と考えてみたので、それについて書いておこうと思います。

どうしてこんなにも次々と悩みが出てくるのか。それは『”今自分が選択していること”じゃない方を選んだ方が良いのでは?』と考えてしまうからだと思ったんです。常にもう一方の方を羨ましく思うというか。
全部が全部ではないと思いますが、今の悩みを思い浮かべてみてください。これに当てはまるものもありませんか?

もう一方の方を羨ましく思うからといって、パッとそちらに切り替えられるのかと言われると決してそう簡単にはいきませんよね。だって自分が選んでやっているのは現状のこっちなわけだし。
そんなに簡単には自分を変えることはできません。

最近は「こう考えてしまうのは、もはや人間の習性だろう」と思うようにして、何となくわり切って考えるように努力しています。
「今の方じゃないパターンを選んだとしたら〜」と妄想を楽しむ程度にして、現実に戻る。「今私が選んでいるのはこっち、こっちを見て進めていかないとな」と。
その先で、妄想した方と楽しく交わるかもしれないし、交わらないかもしれないし……。
不安になりすぎず、妄想も現実も良いバランスで受け入れられるようになれば良いなと思います。