腑に落ちるとき

悩みが「解決する」ときというのは、言い換えれば「腑に落ちる」ときなのではないかと思います。

その問題に対して
「ああ、私はこう思っているんだ。だからこんなに苦しいのか」
「この問題のこの部分に腹が立っているのか」など、
自分の中で何か腑に落ちて納得することで、ずいぶんと気持ちが楽になるということに気がつきました。

実際にその問題は無くなってはいないのだけれど、頭の大部分を占めるほど考えていたものが、すっきりと小さくなっているのです。そういえば…くらいに。

たぶん、このように感じるのは私だけではないと思うので、解決策をたくさん考えて煮詰まっている方は、一度自分の内面に目を向けてみてください。
「この問題のどこに納得できないのか?」
「どこが気に入らないのか、どこに腹が立つのか?」
それに対して「そうか、そういうことか」と自分で納得できたときの、気持ちがスッと軽くなる感覚を、ぜひ感じてみてほしいです。

不安なとき

不安なとき、落ち着かないとき、みなさんはどうしていますか?

私は気づいたら何かを心配していたり、過去の辛かったことを思い出していたり。
なんで自然に頭に浮かぶことがこんなにネガティブなんだ?とがっかりしてしまいます。
でもそんな時、沈んでしまう前に切り替える方法として考えることがあります。

例えば私だと「これから先この教室をずっと続けていくことはできるんだろうか…」と不安になることが多いのですが、
その時に『今』を見るんです。

今日も授業ができるんだ、子どもが来てくれるんだ。
教室は暖房でぽかぽかなんだ、そういえば教室の中の植物も新しい葉っぱが出てきてたな。
ずっとしたかったことが今ふつうにできているんだよな。すごいよな〜。

こうやって今目の前にあることについて考えてみると、じわじわと幸せな気持ちが湧いてきます。
超ハッピー!!な気持ちというのではなく、本当にじわじわ、しみじみ…という感じ。
でもなんだかそのくらいの方が長持ちしそうだし、少しずつ集めて大切にできるイメージが私にはあります。

どうせまた不安はな気持ちはすぐに出てきます。
でも、近くの幸せによそ見をしながらなんとか心を保っていけばいいんじゃないかなと思うのです。

『不幸には敏感、幸せには鈍感』ということばを本で読みました。
その通りだなぁと納得しつつ、こうやって目を向けるところをずらしながら幸せに気づけたら、
別に敏感にまでならなくてもいいよな〜と私は思います。

選ぶのは自分

「自分に合うものを選べる」というのが、大人になってできる良いことの一つだと思います。
「合うもの」って、場所や人や環境や…それはそれは色々なものです。
どこまでも自由なはずなのに、なんでこんなに苦しいんだろう?とふと思う時が私にもあります。

例えば「会社に勤めているからそこでのしがらみがある」という人もいると思います。
でもそれって自分が選んで入った会社なのでは?
例えば「家族がいて自分の自由な時間なんかない」という人もいると思います。
でも自分が選んだ人と、望んで家族をつくったのでは?

今周りにあるものは、ぜんぶ自分で選んできたものばかりです。
そして、それを選んだ時に「喜び」や「希望」が必ずあったと思うんです。

もし今苦しい状況にいるなら、その時を思い出してみてください。
その時のキラキラしたものをもう一度同じように感じられて前向きになれれば続ければいいし、
時間が経ってもう前と同じように感じられないなら、環境を変えるなり何か変化が必要なのかもしれません。

全部自分で選べます。どこまでも自由だということを前提に考えてみてください。
苦しいならそこにいる必要なんて、ぜんぜん、全く、無いです。だって大人だもん!!
「もし失敗したらどうするんだ、責任はだれが取ってくれるんだ」と聞こえてきそうですが、
そんなの自分に決まってるじゃないですか。まだそんなこと言ってるんですか?
失敗したならもう一回やり直してもいいし、また別のことをやってもいい。
そんなことまでまた自分で選べるんです。

……と、行き詰まったときは自分に考えさせるようにしています。
みなさんも、どうにもしんどくなった時、考えてみてください。

自分自身を発揮する

憧れている人はいますか?
私はたくさんいます。

いつも「ああいう人になりたい」と思ってマネしてみるけどその距離は縮まらず…
結局ぜんぜん無理じゃん。ほど遠いわ!とがっくりすることばかりです。

本当に本当になりたいなら自分の意思や好みや感情を殺せばいいと思うんだけど、そこまでできない。
自分をもったまま、あの人みたいになりたい!なんて都合が良いだけ、口だけ。その時点で憧れの人には程遠い!残念!!

と、自分の中で何回も何回もそんなことを繰り返して、疲れてきたんです。
理想ばっかりみて実際にできない自分に呆れてしまうんです。

そんな時、ある本に書いてあったことばにピリっと痺れました。それが、

「その人自身がその人を発揮するほかない」
ということばです。

私は「もうこのことばに甘えよう」とホッとした気持ちになりました。
ばっさりと切ってくれた感じがしてすっきりしました。

じゃあ自分ってどんな人?と、また新しい問いが生まれたので、向き合っていこうと思います。
誰かになろうとするよりは現実的で意味のある課題だと思っています。

みなさんはどう解釈しますか?
私と同じように少し荷が軽くなったと感じられる方がいればなぁと思います。

夢をもつって?

「夢がない」と子どもの口からよく聞きます。

何かあれば「夢をもて」だとか、やたらと「夢をもつ」ことや「夢に向かってひたむきに努力する」ことが美化されてる気がします。そういうものを目にすると、ちょっと無責任だよなと感じることもあります。

はっきりとやりたいことや好きなことが決まっているならそれに向かって頑張れるけど、小学生や中学生くらいだと、まだわからない子の方が多いですよね。

そういうものには自分がいつか出会うものだし、私が口出せることなんてありません。
ただ、それについて悩んでいて苦しそうだなと感じるくらいの子には私の考えを少し伝えています。

それは「具体的でなくてもいいから何か自分がワクワクしたり幸せな気持ちになれる瞬間、もっと知りたいと自然に思うことや、やっていても疲れないこと…など、そういうものに敏感でいられるようにしておくのがいいと思う」ということです。

そういうものの中に自分の好きなものや深く学んでいきたいもののヒントがあると思っています。

ちなみに私は、
ストーブにあたりながら数人の子たちと他愛もない話をしている瞬間に言い知れない幸せを感じます。
暖かい部屋で一人で本を読んでいるときに落ち着いて安心した時間を過ごせます。
一人でテレビの音楽番組を見ながら歌ったり踊ったりするのがすっごく楽しいです。
夕方の空気感にきゅんとくることが多いです。

など、仕事につながるの?と思うことも多いですが、つながることもあるし、そういう時間を確保するためにどんな仕事につけばいいのか。という観点で探していくこともできます。

自分に合った将来を探すには「あ、この瞬間好きだな」ということに気づけるように意識をしておくことだけで十分なのではないかなと思うのです。雑念はやっぱりあるから、紆余曲折があると思いますが、自然と落ち着く場所が定まっていくと思います。

自分に目を向けること

自分がどう思っているかを、なるべく逐一キャッチする意識を持つようになりました。

私は「人にどう思われるか」を気にしすぎるところがあります。
それによって言動が制限されることもあるし、「うーん、ちょっと違うかもなぁ」と思うことをしてしまっていたり。

たいていは「やっぱり違うわ、しなきゃよかった。次はやらんぞ!」くらいの後悔でおさまっているから、大ごとにはならずにこうやって生きているのですが、
何だか少しずつ自分をすり減らしていっているような気がしてきたんです。

「なんで思うようできないんだろう?なんでやった後にこんなモヤモヤするんだろう?」これを何とか落ち着かせて紛らわせる代わりに、本当に思っていることをビリビリ破って捨てている感じ。

そんな訳で、少しでもそういうことを減らしていきたいと思い、自分の声に耳を傾けるようにしています。自然にできれば良いのですが、そんなのまだまだできません。意識的にやっています。

心がザワッとしたら「ん?何だ?何かあれば言ってみな」とか、
ソワソワしたら「落ち着かないのか?ちょっとそこに座って原因を考えてみなさい」とか、
イラっとしたら「何をイライラしているの?」とか、
自分とやりとりをしています。
これで人の目を気にしなくなれます!というものではなく、
日々の積み重ねでなるべく人より自分に目を向けて、自然な自分で話したり行動したりできるといいよね、というはなしです。

人に不快な思いをさせるのは違うと思います。
でもそうでないのなら、自分の思いに素直に受け入れて動いていくほうが健全なのかなと思います。

いつもとなり合わせ

最近の気づきについて書こうと思います。

大人(と言われる年齢)になってから、楽しいことを純粋に、単に楽しむということができなかったり、休みの日なのにダラダラしていると「こんなんでいいのかしら…」とどこか不安がつきまとったり。
子どもの時は、楽しい時は楽しい!!で100%、休みの日はたくさん眠ってスッキリ!!だったのに。

そんなことってないですか?きっと私だけじゃないと思うんです。
ずっとずっとこのモヤモヤは何だろう?と考えていたのですが、最近ふと思ったことがあります。

90歳を越えたうちのおばあちゃんが、秋のパリッパリに晴れた日に庭で日向ぼっこをしていたんです。
時々空を見上げて「いい天気だねぇ」とか言いながら。

その姿を見て、私は「あ〜なんて素敵な光景なんだろう。幸せなおばあちゃんだねぇ」とか思ってほこほこな気持ちになっていたんですが、
それと同時に「来年の秋もこの光景が見れるんだろうか。おばあちゃんはあと何回いい天気の日向ぼっこができるんだろう」とかも考えてしまっていました。

その時に「あ、また私はこんなことを考えてしまっているな。幸せな気持ちになったのにどうしてそれだけで終われないんだ?どうして暗いことも一緒に考えてしまうんだろう」と思ったんです。

そして「そうか、もうこれは仕方のないことなのかもしれない。大人になるにつれていろんな側面が自然と見れるようになってきてしまったから。もうこれは『見ないでおく』というのは難しいことで、そういう側面もあることは認めて、それでも楽しい幸せな方に少し多く目を向けれたらそれでいいのかも」と考えが廻りました。

不安とか切なさは、幸せなことといつもとなり合わせにある。
年齢を重ねることで様々なことを見たり感じたり考えたりしているから、良い面だけを見るのは難しい。
どうしてもそれに伴って反対の面も見えてしまう。
そうであることを認めて「でもやっぱりこうだと良いよね」と良い面の方が少し比重が多くなるくらいで見て大切ににしていけたらそれで良いと思う。

私のちっぽけな人生経験の中で、今の自分への答えがひとつ見つかったような気がします。

やりたいことじゃなくてい良い

『やりたいことが見つからない』という悩みをよく聞きます。

きっと「やりたいことをしなきゃいけない」という固定観念からくるものだと思うのですが、悩んでいる方はその枠を一度外して考えてみると良いと思います。

具体的に言うと「やりたいこと」を「苦なくできること」と「それについて問題が起きた時、自然に解決策を探せること」の2つに置き換えるんです。

前者について。
やりたくないことをする必要はありません。やっていて苦じゃないことににハードルを下げると、グっと視野が広がりませんか?
今までの仕事や、普段していること、人と関わっている時の自分を振り返ってみてください。何気なくしていることの中に何かヒントが見つかるかもしれません。

後者について。
何と言っても”自然に”というのが最大のポイントです。
「うーん困ったなぁ、ちょっとあの人に相談してみよう」とか「じゃあ、こうしてみようかな?」とか、問題解決へと自然に進めること。ここにかなり重点を置いてみてもいいと思います。
「何とかしないといけないよなぁ、でも面倒くさいなぁ、誰か代わりにやってくんないかなぁ」だと、何回かは乗り切れても後々しんどくなると思います。

やりたいことが見つからず悩んでいる方、この2点について一度考えてみるといいかもしれません。

【12月の予定】

今年ももう終わりですね。今月もよろしくお願い致します。

自習可能時間
平日 16:30〜21:30
※火曜のみ18:30〜
土・日 9:00〜21:30

お休み
29(火)、30(水)、31(木)
※1月は、4日(月)から始めます。