返信を待つとき

例えば、誰かにメッセージを送ってからなかなか返信がない時、不安になることってありませんか?

私はちょっと気にしいなところがあるので、そういう状況では早い段階で、
「私なんかしたっけかな?」と考えてしまいます。
一度そう思ってしまうと、その人と最近とったやりとりを思い返して、
「もしやあの発言が気に障ったのか?」とか「あれはやらない方がよかったのか?」とどんどん掘り返していくわけです。
そうこうしているうちにポロンと返信が来て、「あ〜よかった、怒ってないや」とひと安心。

……しかしこの悶々と悩む時間は毎度やらんとだめですか?と自分に思うのです。

そこで「私なんかしたっけかな?」以外のレパートリーを増やすことを意識するようにしました。
返信できないのは…
寝ている。仕事中。携帯手元にない。ごはん食べてる。映画見てる。外で遊んでいる。など。
こうやって考えてみると、自分に置き換えてもそういう状況のときは返事できない時があるし、だいたい「怒ってて」返信しない状況なんか今までにあったか?と冷静に考えるとそんな心配はしなくても良いことに気がつきます。

いや、そんなこと考えないよ!という人が大半かもしれないのですが、私と同じように不安になってしまう人も確実にいると思います。そんな人はぜひ、種類豊富に、軽い気持ちでぽんぽんと思い浮かべてみてください。

置いておく

その抱えている悩みがさっぱり消えて無くなることを目指すのではなく、悩みの中身を自分で理解することを目指す方が良いような気がします。

前者の方は『無くなる=見ないようにする、他のもので紛らわす、忘れたふりをする』という色が強いのではないかと思います。
それって実際にはやっぱりそこにあるものなので、その時はうまく隠せても、ことあるごとに(自分が弱っているときや、それに少しでも関連する何かがあったときなど)顔を出してきます。
見ないようにしてきたから得体の知れないもので、そこにあるのはすごく不快。

後者の方も、問題はそこにあるままです。
でも、いろんな方向からよく観察して「ここにこんな思いがあるのか」とか「これはこっちとつながっているな」とか、自分で中身をある程度把握できると『置いておく』ことができるんです。
何が入っているのか分かっているから、そこにあっても不安はないし、今必要なものかどうかも自分で判断できます。今は使わないならちょっと置いておこう。その間にちょっと別のことしてみようかな。と、次に目を向けやすくなると思うのです。

問題について細かく見ていくのは少し怖くて痛いこともあるかもしれません。
一人でもできる作業ですが、二人でもできます。そういう時にカウンセリングって便利だと思います。

【4月の予定】

今年度はどんな年になるだろうと私自身も少しドキドキしています。
4月からもどうぞよろしくお願い致します!

自習可能時間
平日  16:30〜21:30
土・日 13:00〜20:00

お休み
29日(木)、30日(金)

帳尻あわせ

何かすごくストレスを感じた時、自分を保つため、もっと言うと生きのびるために、人は自分の意識と関係のないところで、ちゃんと帳尻をあわせているんだな。ということを、私は実体験と共に学びました。そのことについて書いておこうと思います。

私の場合、まだまだへなちょこ人生の中でも超ヘビー級の悲しい出来事があったときに、それまで何にも気にせずできていたことができなくなりました。それまで楽しく関わっていた人たちと、どう関わったらいいのかわからなくなりました。

決して「やりたくない」でも「関わりたくない」でもないんです。正直、今でもなぜなのか分からないくらいなのですが「そうせざるをえない」というのが一番近いと思います。その悲しい事と自分の生活のバランスを取るための帳尻あわせだったのだと考えています。
だから「なんでなの?なんでできないの?」と言われてもうまく答えられないんです。

で、このことは他の様々な問題にも当てはまると思うんです。例えば不登校です。

その子に何か大きなストレス(お家でのことや習い事、自分自身のこと、ストレスの内容は決して学校に関わるものだけでは決ありません)がかかった時の帳尻あわせのための一つの行動だと私は思います。

自分を守るための一つの行動なので「行きたくない」というよりは「行けない」の方が強いんじゃないかな?
そうせざるをえないから「どうして行かないの?」と言われても困ってしまうのだと思います。
私は不登校の子の話を聞く機会がありますが「自分でもはっきり理由がわからない」という子は少なくないです。

「学校に行っていない」という事実は置いておいて、その背景にはどんなストレスや不安があるのだろう?と一緒に探っていくことが大事なのだろうと思います。

子どもはまだ行動範囲も狭いし、ストレスや不安を抱えておくことも解消することにも経験が少ないので、
学校に行けなくなったり、暴言をはいたり、万引きしたり、いじめたり、嘘をついたり……
「それは違うんじゃない?」と思うことでも、それをして何とか自分を保って、集団の中を生きているのではないかと思うのです。

問題行動に対して叱ることも必要だと思います。悪いことは悪いことなので。でもそれとは別に「これは何かと帳尻をあわせているのでは?」とその子の内側に向ける目を忘れないでいようといつも思っています。

予防すること

はたから見ると明らかにおかしいのに、本人はまったく、当たり前だと思っている状況。
私は、人がそうなっているところを見たこともあるし、後から考えると自分がそうだったのだろうということもあります。

だから、そういう状況ってあまり珍しいことではないのかもしれませんが、その先は様々です。
「あ〜危なかった」と気づけたらそれでいいと思うんです。良い経験になるし、そういった人の気持ちも少し分かるようになるので。

でも、中には人生が望んではない方向に行くことも、命に関わることもあります。
それは絶対に避けたい。

でもこの状況って本人は気づかないんです。最初にも書いたけど、まったく当たり前で何にもおかしいと思っていない。
「おかしいな」とうっすら感じているけど、何かにどっぷりハマっていたり追い詰められいる時の視野は、ふつうのときに比べて100倍狭いから抜け道が見えない、周りの声も入らないという場合もあります。

そんな状況の真っ只中にいる人に、外の人が一生懸命働きかけてもどうしようもできないことの方が多いです。
自ら「これは違う。抜け出さないと」と思わない限り。

最悪にならないためには「その状況に入る前に気づくこと」しかないんじゃないかなと思います。予防です。
当たり前だと思うのですが、みんなが当たり前だと思って事前に防げていたらこんなにいろいろな問題(具体的に書かなくても読んでくださっている方の頭の中にはいくつか浮かんでいるのではないでしょうか)は起こりません。

身近な人の「あれ?」と思う言動。
この人こんなだったっけ?こんなこと言う人だっけ?そんなタイプの友達いたっけ?
はじめの「あれ?」を頭の片隅にでも置いておくことが重要だと思います。
詮索しすぎるするのも気が引けると思うので、思い出した時に気軽に話してみたり、連絡を入れてみたり。
ちょこっとアンテナを張っておくだけでずいぶん変わる気がします。

【3月の予定】

今月は授業時間に変動があったり、面談が入ったりすることが多いと思います。
急遽、自習時間が変更になることもあるかと思いますが、どうかご了承ください。

今月もよろしくお願い致します。

自習可能時間
平日 16:30〜21:30
※火曜のみ18:30〜
土・日 9:00〜21:30

 

ちかみち

人と関わって生きていくのって難しいですよね。
悩みの多くは人間関係だとよく聞きますが、本当にそうだなと思います。

私も「これは私自身の問題だし!」と思っていても、どんどん元をたどっていくと、
「こんな風に思われるんじゃないか?」と人の目を気にしているところから始まっていたり。
特定の人でなくてもやっぱり「人」が絡んでいたりします。

人は、何から何まで自分とは違うから、その違いからぽこぽこ小さな差が生まれて、それが怒りや恐れや不安やいろいろなものに変化していくのかな〜と考えています。うまく言えないけど。

で、その差をなくすっていうのは無理なんです。自分とはぜんぶがちがうから。
性格も感情も受け取り方も出し方も…ぜんぶです。

そう思うと「こうしてほしい」とか「なんでそんなこと言うんだろう」とか「こうすればいいのに」とかそういう自分の思いがすごく不毛なものに思えるんです。そんなの当たり前じゃん、ちがうんだもん!みたいな。

何が言いたいかというと「悩みを解決するために人に何かを求めるよりも自分が変わった方がはやい」ということです。自分の考え方や環境を変えることがなによりも早いし有効です。

そう言いながらも私はうじうじ…いらいら…悩むことがまだまだあります。
このことをサッと思い出して切り替える。うじうじ…いらいら…の時間が少しずつ短くなるようにしていけたらいいなと思っています。訓練ですね。

未来をつくるもの

何だかタイトルが壮大っぽくて恥ずかしいのですが、そんなに大きいことは言ってません。

自分の欲求や妄想が膨らんで「ちょっとストップ!落ち着け。」と戒めるときによく思い出させることばについて書こうと思います。

それが「目の前にあることでしか未来はつくられない」ということばです。
たしか本に書いてあったものです。いや〜その通りだな、と深く刺さったのを覚えています。

例えば私の場合だと、
「将来こうなってたら理想だな〜、ってことはもっと頑張らないといけないよな。そのためにはこうして、こうして…あ、これも必要だよな、そんでこうなったとしたらこうなってこうなって…いやまだ足りないな、っていうか無理だろ。じゃあそうすればいいんだよ!」
みたいな感じで一人でぐんぐん考えてしまう時があるんです。妄想です。そしてしっかり頭が疲れてしまいます。

理想を持つことが悪いことだとは思いません。ただそこに至る道は今と確実に繋がっていることを忘れてはいけないということなんだと思います。今が連続した道しか通ることはできません。
私のように頭の中での考えがいきすぎているとき、理想まで全くの別ルートで考えてしまっているのです。

目の前のことを確実に、自分でしっくりときながら進めていれば、その理想…というよりは自分に見合った未来にいきつくのだと考えています。
(すみません、ちょっと分かりにくいかもしれません)

目指したいところまでの道がわからないとき、理想はあるけどすごく遠く感じるとき、まず目の前にあることを自分できちんと納得しながら進めてみてください。納得というのがポイントだと思います。
しっくりくる・居心地がいい・自然体でいられる・流れがスムーズetc…このような感覚を手掛かりにすると良いと思います。

そうしていると、そんなにかけ離れていない、ちゃんと実現できる自分の未来がつくれるのだと思います。

距離で調整する

対人関係や、何か物質的なものに対して以外でも使える考え方について書いておこうと思います。
タイトルの通り「距離で調整する」ということです。

例えば対人関係において、どうも噛み合わないとき。
自分の考えを分かってほしい、話を聞いてもらいたい、あるいは相手にこうしてほしいなど、いろんな思いがあると思います。
そして、それを実現するためにあれこれ試してみますよね。
話しをしてみたり、行動してみたり、第3者の意見を聞いたり…いろいろあると思います。

そういう試行錯誤はとても大事だと思います。
上手くいく・いかないは別にして、気づくことや学ぶことがあるからです。

ただ、こういうことをするためには、すごくパワーがいりませんか?
たぶん行動しているうちは「自分はすごいパワーを使ってる!」ということに気づかないと思います。
それが終わったあとや、ふと隙間ができたときにどっと疲れていることがあるのではないかと思います。

そういうときに「距離をとる」こともひとつの手段として覚えておくのが良いと思います。
別に行動しなくて良いんです。その人や、物事、感情から距離をとってください。
これにはそんなに労力を使わないんじゃないかな?と思います。
自分がしんどくない距離感を探りながら、ちょうど良いところを見つけてみてください。
そしてそこにしばらくとどまってみてください。

そうすると、動き回っているときには見えなかった感情や考えが出てきます。
たぶん距離をとることで、相手より自分に目が向く割合が大きくなるので、まわりの余計な刺激が少なくなり、落ち着いて「自分はどうしたいのか」などを考えられるようになるからだと私は考えています。

そこでの気づきが、今後の在り方に役立つのではないでしょうか。
疲れてしまった時、ひとつの方法として使ってみてください。