0か100思考

0か100、白か黒など結果をはっきりと2つに分けて考える人が身近にいて困っているor自分がそういう考え方をしてしまってしんどい…というお話を聞くことがあります。

ひとつうまくいかないことがあると全部がダメだと考えてしまう0か100思考は、自分を否定してしまうことが多いので本人はもちろん辛いのですが、周りにいる人も「またそう考えちゃうの?どうしてそうなるの?」と疲れてしまいます。

でも考え方には元々のその人の気質も関係しているし、考え方がクセになってしまっていることもあるので、治したいと思ってもそう簡単に変えることはできません。

「50の自分」も受け入れられるようになれば少し楽になれると思うのですが、そこに至るには0と100の両端にしか目が行かない本人ひとりでは最初は難しいので、周りの人の言葉かけがある方が良いと思います。

「そこまではできたんでしょ?それなら今回はもう良いんじゃない?」
「完璧とまではいかないかもしれないけど、前よりは進んでるんじゃない?」
など、0と100の間の段階をコツコツと気づかせてあげることで視野を広げていくこと、その段階に自分ひとりでも気づくことができるように訓練をしていくことが大切です。

また、この考え方の人は「こうじゃないといけない」と、あるひとつのことにすごく固執してカチカチに凝り固まってしまっていることも多いです。その凝りに気づいた周りの人が「どうしてそう思うの?」と本人といっしょに見つめなおして、ほぐしていくことも必要だと思います。

失敗したら落ち込むことは当然だし反省をした方がいいです。譲れないポイントがあって貫くことも素敵なことです。ただ、そこから抜け出せなくなったり、それ以外のことまで全部否定してしまったり、選択肢を極端に減らしてしまうところに問題があります。
力まず、視野を広く持っていられれば、そうなってしまうのを避けることができると思います。

もし周りに0か100思考で辛そうな人がいたら「その考え方やめなよ」というのではなく、少しずつ視野が広がるような言葉をかけてみてください。

自己調節

なんだか気分が晴れない。大きな具体的な悩みがあるわけではないのだけど、細々とした不安がいくつもある。あれは大丈夫だろうか?そういえばあれも気になる、あれもまだしていない。面倒臭いなぁ、いやだなぁ〜。
みたいな感じありませんか?私はしばしばあります。
そして最近、このような気分に対しての気づきがあったので書いておこうと思います。

「もうちょっと暖かくなったら着よう」と思って買って置いていた服がありました。少し高かったけどとても気に入ったので買ったものです。その服を、上記のような気分の時に着るタイミングがありました。そしてそれを着て外にでたら自分でも「あれ?なにこの感じ?」と不思議に思うくらい気持ちが軽くなったのです。
不安はひとつも解決していないのに、ただ新しい服を着ただけでこの気分の変わりよう。単純すぎて自分でも呆れてしまいますが、これはもしかして重要なことなのでは、と考えました。

不安が解決された訳でもないのに、あるきっかけで気分が晴れるということ。
仕組みはうまく説明できないけど、こうやって自分の気分をだましだましでも調節していくことが日常を機嫌よく過ごすことにつながるのかなと思います。

私の今回の場合「新しい服を着る」ということが気分が変わるきっかけになりました。このような「きっかけ」を見つけた時にストックしておくと良いのではないかと思います。
そしてなんだか調子が乗らない時に「あれ、やってみるか」とストックを持ち出して自分のご機嫌をとる。そうやって自己調節ができれば自分にもまわりの人にもきっと良い連鎖になると思います。

無口な人

無口な人ほど「自分との会話が多い人」だと私は捉えています。心の中ではすごくおしゃべりでいろんなことを自分と話しているのだと思っています。無口な人の中には自己完結してしまって誰かに自分のことを伝え慣れていない人もいると思います。全員にあてはまるわけではないけど、少なくとも私はこのタイプに当てはまります。だからすこし主観が強めですが、似ている人もいるだろうと思うので書いてみます。

話す相手が自分の場合、思ったことはぽんぽん言えるけど受け止めるのはぜんぶ自分でそこに誰かの視点はありません。誰かに伝えるときはある程度考えをまとめて伝える用の形を整える作業が必要ですが、相手が自分だとそれをしなくて良いので考えはたくさんあるけどバラバラと散らばった状態になりがちです。そのため、いざ話す場面があっても思うように伝えられず、人と話した後は「ひとり反省会」が開催されて「あれを言ったのは良くなかった。たぶんこう思われてしまっただろう」「なぜあんなことを言ってしまったんだろう。気を悪くさせたかもしれない」など反省点が山ほど出てきて、結局「やっぱり人に話すのはやめておこう」という結論になって無口は続きます。

無口なのがダメだとは思っていないのですが、相手とのコミュニケーションが不可欠な場面や言葉にして話さないと次に進めない場面もあります。だからもしそこで困っているのなら相手に伝える練習をしておくことは、自分を「やっぱりだめだ」とがっかりさせないためにも良いのではないかなと思います。例えば私がこうやって考えていることを文章にしているのもその練習の一つだと思ってやっています。

そしてカウンセリングもとても良い練習のひとつになります。カウンセリングではうまく話す必要はまったくありません。自分の思いを声にして外に出してみることで、自己完結していたところに変化が出ます。人にどう思われるかではなく自分がどう思うかにスポットを当てて深めていきます。そうすることで「自分は実はこう思っていたのか」などの気づきがあったり、自分のことをよりよく知る機会にもなります。自分を知れば相手にも伝えやすくなります。カウンセリングはこのように使うこともできます。

私はカウンセリングをしたり子どもの話を聞く立場でもあるので、話すことに慣れていないのだろうなと感じたときは「今話したことだけであなたを判断することはないのでその点は心配しないでください」と伝えることもあります。私が実際にそういうようなことを言われたことがあって、安心して話しやすくなった経験があるからです。もし周りに話すのが苦手そうな人がいたらこのような言葉がけをしてみるのも良いかと思います。

人の目

「人の目が気になる」という意識は、程度の差があるにしてもほとんどの人が持っているものだと思います。
自分がどう思われているかが心配で思うように行動ができなかったり、もしかして今笑われたんじゃないか、悪口を言われたんじゃないかと不安になってしまったり。

そのことを誰かに相談しても「誰もあなたのことそんなに見てないよ」とか「気にしすぎだよ」と言われて終わってしまうというのも、多くの人が経験したのではないかと思います。

私も人の目は気になるし、それによって身動きが取れなくなってしまうこともあります。
「どうすれば人の目を気にせずにいられるんだろう」と何度となく考えてきました。

そこで、今のところ辿り着いた考えは『気にしないようになるのは無理。気にしてしまっている自分にどれだけ早い段階で気付けるかが大事』ということです。

気にしないことを目指すのはたぶん難しいです。そんな難しいことを目指しても疲弊してしまうだけなので「あ、私はいま人からどう思われているかが原因で気分が落ちているな」と自らで気づき、その考えを手放す訓練をするのが現実的な対処法だと考えています。
落ち込んで負のぐるぐるに入ったとしても気づいて手放せばそこから抜け出せます。
目指し極めるとすれば「気づきまでの時間を早くする」というところなのではないかと思います。

「手放す」には人によって様々な方法があると思います。体を動かしたり、音楽を聴いたり、趣味のことをしたりして気分を変えるのも良いと思います。

他者がどう感じるかやどう行動するかを自分がコントロールすることはできないし、してはいけないことです。
でも多くの悩みはそこにつながるのではないかと思います。だからこそ自分にできる術を身につけておけば、自分を楽にしてあげることができるのではないかと思います。

バランスをとる

何かすごくストレスを感じた時、自分を保つため、生きのびるために人は自分の意識と関係のないところでちゃんとバランスをとるものなのだと考えています。

大人だと「今自分はストレスを感じている」ということも分かるようになるし、その時は意識的に趣味で発散したり人に話してスッキリしたりと様々な方法でうまく帳尻を合わせて生活をすることができます。
しかし子どもは「ストレスを感じている状態」をまだ十分に自覚できないことも多いです。そのうえ行動範囲も自由な選択肢も少ないので、例えば「学校に行かない」や「万引きをする」や「誰かをいじめる」などの、周りから見ると心配をしてしまう行動や自分にも不利益になる行動につながる場合もあります。

自分でも何が原因でどうして行動につながったのかが分からないから「どうしてそんなことをするの?」と聞いてもうまく答えられないのは当然で「なんとなく嫌だから」とか「イライラしたから」とか簡単な言葉で終わらせてしまいがちです。
自分でも分からないことは当然周りにいる人だって分からないので、その行動自体はひとまず置いておいて、どのストレスのしわ寄せによるものなのか、どの問題と帳尻を合わせようとしているのかを探っていくことが大切だと考えています。

カウンセリングではそのようなことも一緒に考えさせてもらっています。その行動自体を無くすというより、自分で自分の状況に気づき理解することが大切だと思うので、その方向でお話を聞くようにしています。自分が理解できれば対処法を考え、それを練習して今後に生かしていけます。

子どもを例として挙げましたが、子どもに限らずストレスや不安を抱えておくことも解消することにも不慣れな場合、無意識のうちにそのストレスと生きるためのバランスを取る行動をしてしまうものだと思います。自分にとって良い行動なら問題ないのですが、そうではない場合は、一度立ち止まって考える時間が必要なのかもしれません。そういう時にカウンセリングを利用するのも良いかと思います。

教えないようにして教える

「教えないようにして教えることでしか身につかない」というようなことを何かの本で読んで、とても印象に残っています。自分もこのような仕事をしている中で「そうかもしれないなぁ」と思うことがしばしばあります。

「教える」というのはどこか一方的な感じも含んでいると思います。どれだけ一生懸命に説明しても一方的なことはあまり残らないとこれまでの経験でなんとなく感じてきました。
だから、例えば相手に「これは分かってもらわないと困るな」というところほど、相手と同じ目線になって一緒に考えるというような姿勢を心がけています。ここに「教えないようにして教える」という要素が入っているのかなと思います。

分かってもらいたいことや伝えたいことがあるときほど、こちらの熱量が高くなって一方的になりがちです。私はそれでよく失敗をします。そういうときに落ち着いて相手に合わせ、一緒にボリュームがあがっていくような伝え方ができるようになりたいなと思います。

貯めておく

幼い時期から思春期まで人にとっていちばん重要な期間に、どれくらい「大切なもの」を貯めておけるかがその後の人生の支え、燃料、土台になると考えています。

「大切なもの」というのは、人に優しくされたり、大切にしてもらったり、うれしいことがあったり、頑張ってみたことが成功したり、誰かに感謝されたり、お腹が痛いくらい誰かと笑ったり……etc
どれだけ細かなことでもいいし、家族・友人・他人などに関係はありません。その人が思い出した時に体や心があたたかくなるものであれば何でも良いです。

それさえ心の中にコツコツと貯めておくことができれば、その先にどれだけ絶望的な出来事が起きても大丈夫なような気がしています。大変なことが起きても落ち込まないというのではありません。一番下まで落ち込んでも、最後の一歩は決して踏み込まないだろうということです。人を殺したり、自分を殺したり、心の病気に深くまで蝕まれたり、そういうところに、です。

もちろん「大切なもの」ばかりで埋めることはできません。失敗して、嫌な思い出も消したい過去も山盛りできますが、それと同じくらいの「大切なもの」を貯めておけば大丈夫です。

何でだと言われてもうまく説明ができないのですが、このことに私はかなり確信しています。
「将来困らないように」ではなく「将来絶対困ることがあるんだからコツコツ貯めておこう」と、そう思ってここに来てくれる人にも接しています。どんなに小さなことでも残るものがあればラッキーだなと思っています。

「ああもう無理だ終わりだ」と思った時にそれらが知らぬ間に支えてくれます。「あんな楽しいことがあったんだから頑張ろう」とかそんなんじゃないです。絶望のときにそんなこと思い出す余裕はありません。最低限自分を守る行為を無意識にする燃料になってくれます。たぶんそんな感じだと考えています。

思春期過ぎたからもう貯めても仕方がないのか?ということでもありません。その時期までに貯めておくことに越したことはないのですが、だからってこの先も生きないといけないので、今からでも貯めるべきです。
大人だとある程度自分で動かないと誰もやってくれないので、多少の努力は必要になってくると思います。難しければぜひカウンセリングに来てください。私も一緒に考えます。

関係すること

「コントロールするのではなく、関係する」という河合隼雄さんの言葉があります。

私はだんだん大人になってきて、これまでの経験からして「相手を変えることはできないし、コントロールできたとしても後に必ず歪みが出てくる」ことが分かるようになりましたが、それまでは「こうした方が相手にとって絶対良いに決まってる」とか「相手のことを思って」とか真剣にそう考えて行動をしていました。
相手も「そうかも。そうするわ!」と口では言っても結局そうはなりません。自分発信で変わりたいと思わない限り変われません。自分に置き換えてみてもそうだと思います。

そう考えるようになってから「やるって言ってたのにやってない!また裏切られた」と腹を立てたり落ち込んだりすることに「私はいま無駄なエネルギーを消費しているのでは…!」と気づいて、スッと切り替えられるようになりました。

でも、変えられないからといって放っておくわけにはいかないこともたくさんあります。その時に「コントロールするのではなく、関係する」ということを思い出すようにしています。
「関係する」ということを「関わり合いの中で折り合いをつけていったり、共に変化していく」というような感じで私は解釈しています。例えば、お互いが「まぁそれならいいか」という程度の納得ができるように擦り合わせていく。お互いにほどよい距離感を調節していく。などの作業をしていきます。
そのときに「絶対こうでなきゃ!」という思いが邪魔になるのですが、手放すのが難しい思いでもありますよね。でもそれは頑張って手放すしかないと思います。そこがいちばんの頑張りどころなのかもしれません。それさえ手放すことができれば、視野が広がるので必ず考え方に変化が生まれます。

親切にしてもらったとき

人から親切にしてもらったとき、ソワソワしてしまうことってありませんか?私はよくそうなってしまいます。
ソワソワと落ち着かなくなる感じというのは、例えがすごく変ですが、よくアニメとかで爆弾を手渡された時みたいな感じです。火がついていて、もうすぐ爆発しちゃう!って手に持ったままあたふた走り回るシーンのような、あんな感じです。

そのやさしさを「ありがとう」って受け取るだけでいいのに、どうしてそれができないんだろう?と考えると、素直に感謝する気持ちと「やさしくされちゃった!私もちゃんと返さなきゃ!」という焦りがセットになっているからなのかなと思いました。
それはどうして?と考えると、もらった親切や優しさを自分の中に留めておくことに不安があるのかもしれないなと思います。「こんな良いものを私がもらっていいのか?」とか「それは私に見合ってないのにこの人後でがっかりしないかな」とか自信の無さにつながっていそうです。

相手の好意は相手のものです。私がどれだけこねくり回しても変えることはできません。これは自信の無さに隠れているけど時手をコントロールしようとしている面もあるように思います。そう考えるようになって「またできないことをしようとして勝手に不安がっている自分がいるな。素直になりましょう。そのままありがたく受け取りましょう」と自分をたしなめよことができるようになりました。
自分のことを理解することで、自分を楽にしてあげることもできます。「自分を理解をする」作業に挑戦してみるのもカウンセリングの使い方の一つです。

しなくてもいい失敗

何をするにしてもタイミングというものがあると思います。何かをしたあと、後味が悪かったり余計とややこしくなってしまったりするのは、その内容自体が悪いのではなく「タイミングが悪かった」ということも多いのではないかと思います。

良くないタイミングで行動してしまう原因の大部分が「焦り」です。焦ってもひとつも良いことは起こらないのに焦りに勝つのってすごく難しいことだと思います。
焦っている状態は視野が狭く、余裕がありません。そのうえ根拠のない思い込みが頭を支配している場合もあります。そんな普通ではない状態のときににする行動はうまくいかないのが当然です。

いつでも自然に力まず行動できることがベストですが、そんなこと口では言えるけど実際にはとっても難しいです。でも自分の状態に気付くことは普段から気にかけていればできるようになります。
「私はいま焦っている」「これは焦りだ」「ちょっと待てよ」と自分を見つめることができれば、しなくて良い失敗をせずにすみます。しなくていい失敗を減らすことは、自信をつけることにつながります。
失敗から学べることは自分の身になることなのでものすごく大切です。でも、しなくていい失敗は自分を傷つけることの方が多いと思うのです。