声に出すこと

私の教室は、何軒かお店が入っている長屋のような建物にあります。ほとんど毎日どのお店よりも遅くに終わるので、帰るときは誰もいなくて真っ暗です。
でもたまに、別のお店の方がまだ残っておられて帰るタイミングが一緒になることもあります。そのときに「ごくろうさん」と言ってくれて、私も「お疲れ様です」と返す。このやり取りにものすごく癒されるのです。気持ちがスッとなります。いつも一人で黙って帰るだけなので、すごく染みます。

一日のことを「おつかれさまです」にぎゅっとまとめて体の外に出せること、それを「ごくろうさん」が受け取ってくれること。別にお互いごく当たり前のあいさつとしてやっているだけなのですが、自然と気持ちが軽くなるような効果が生まれているのだと思います。
大げさに聞こえるかもしれませんが、このやり取りから思うのは「受け取ってくれる相手がいる時に体の中にあることを外に出すことは大切だ」ということです。

悩み、楽しかったこと、悲しかったこと、ふだん考えていること、腹が立ったこと、くだらないことなど、なんでもです。逐一話した方が良いというのではありません。ずっとためておくのはあまり良くないのではないかと思っています。
月に1回でも年に1回でも構いません。たまに声に出して自分の外に出してあげることで心の中を軽くしていくことは本当に大切です。楽しいこととか嬉しいことでも声に出して誰かに受け取ってもらうことに意味があるように思います。ためたままにしておくと心は重くなり、心の不調の一因になると考えています。

必要な時間

最近なぜか編みものにどハマりしています。暇さえあればちまちま編んで、毛糸がなくなればいそいそ買い足して…。なんで急に?と自分でもやり始めたきっかけがよく分からず、このブームはいつ終わるのだろう?と思いながらも、次は何つくろ〜と考える日々です。

そんな編みものをしている最中、余計なことは何にも考えず、ただ集中している自分に気がつきました。考えていることといえば、編み目の数を間違えないようにひたすら数を数えたり、肩に力が入っているのに気がつけば、肩が凝っちゃう!と思って力を抜くよう意識をしたり、そのくらい。ちらっと時計を見たら、もう2時間経ってる!みたいな感覚を久しぶりに味わっています。

これはもしかすると瞑想やヨガなどに共通するところがあるのかな?と感じています。ただ呼吸することに集中したり、背骨の一本一本に意識を向けたり、何か頭に浮かんだらそれを手放したり。内容は違うけれど、スタンスは似ているような気がします。

『いろいろと考えるからしんどくなる。考えても仕方がないことは考えないことがいちばん。そうは言ってもでも人間どうしても考えてしまいますよね。だから違うことに意識を向けましょう。例えば、ただ繰り返し自然に起こることに集中してみましょう。それでも考えてしまうなら手放しましょう。』と、瞑想などをきちんと勉強したことはないのですが、すごく大ざっぱにいうとこんな感じなのかなと受け取っています。

なんで急に、狂ったみたいに編んでいるのかは自分でもよく分からないけど、いま私にはそういう時間やそういう行動が必要なのかもしれないな〜と軽く受けとめて、またぱったりと編まなくなる時まで機嫌よくやっておこうと思っています。そのときにどんな変化があるのかも楽しみです。
考えても仕方がないことは考えないことがいちばんです。

ずれていく


私の好きなバンドの曲に「どれくらいの」という曲があります。

どれくらいの どれくらいの
どれくらいの 悲しみを
どれっぽちの それっぽちの
それっぽちの 優しさで
人はずれていく ずれていく

この部分が好きで、本当にそう思います。

何かでガラリと変わることも時にはあるかもしれませんが、たいていの場合は気づかないくらいに少しずつじわじわと変化していくことの方が多いのだと思います。「ずれていく」という言葉がぴったりです。そして「ずれていく」くらいがちょうど良いのだと思います。

本当に些細なことや、本人も優しくしようと思ってやっていないような何気ないことこそ、人の心に自然と染み込みやすいです。それが少しずつ、人をずらしていくのだろうと思います。

良い方向にずれていくこともあれば、もちろんその反対の方向にずれていくこともあります。
はたから見たら「それは完全におかしいだろう」ということでも、本人にとってはじわじわずれてきたことなので気づきません。気付いたらこうなっていた…という感じで。

日々ずれながら、いい感じの自然な人間なれたらなと思ったりしています。

やりたいこと

「やりたいこと」や「やってみたいこと」はやった方がいいです。やってみないと分からないことがたくさんあるからです。

ただ一番大事なのは、やってみて「あれ?思っていたのと違うかも…」とか「もしかして自分に合わない…?」とか、些細なことでも違和感を感じたとき、自分を言いくるめないことです。
言いくるめるというのは「やりたかったことだからできるはず」とか「せっかくやりたいことをやってるんだからもう少ししなくちゃ」と違和感をなかったことにしてしまうことです。

「やりたいこと」にしがみついて、行動ではなく自分の気持ちを変化させる方向に進んでしまうと、ストレスを溜めて体をこわしてしまったり、気持ちが伴っていないのでうまくいかず自信をなくしてしまったり、結局続かず落ち込んでしまったり良いことはありません。

自分の気持ちをそのまま受け取ることができていると「じゃあこうしてみようか」とか「ちょっと誰かに相談してみようかな」とか柔軟に対応していけます。自分の気持ちにそって行動を変化させていくことが大切です。それができていると、続かなかったとしても変に落ち込んだり自信をなくすようなことはあまり無いように思います。

やっぱり何事においても、自分の気持ちを抑えたりねじ曲げたりすることからその後の道が分かれていくように思います。これはクセになりやすいので、クセになってしまっているなら、気付いた時に自分の気持ちを聞いてあげるように練習していくことが大事です。

べき子ちゃん

カウンセリングの学校に通っているとき、先生が「べき子ちゃん」と呼んでいるタイプの人について授業の中で話してくれました。名前の通り、何に対しても「〇〇するべきだ」「〇〇しないといけない」と考えてしまう思考パターンを持つ人のことです。

この話を聞いたとき「私はべき子ちゃんだ…」と改めて自覚してしまいました。
私自身、子どもの頃から「〇〇しないといけない」という考え方で来てしまっています。この考え方が染みついてしまって残念ながら現在進行中でもあります。

この考え方の良くないところは、自分の本当の気持ちを抑えたり、無意識のうちに捻じ曲げたりしてしまうこと、そして思考のクセになりやすいところです。
ずっと先のことを考えたり、周りのことを考えたりして「〇〇しないといけない」と考えてしまうので、今の自分の気持ちにスポットが当たりません。

そのクセがついてしまうと、常にギュッと力が入ってしまったり、不安が消えなかったり、いざ「これやりたいな」と思ったときでも「いやいや、本当にしてもいいのか?」とストップがかかってしまい、窮屈な現状から抜け出すことが難しくなります。

また、この考え方は自分を過信しているとも考えられます。自分がそれをしたら、未来や周りが良い感じに収まると信じているのです。自分の行動と周りの反応は別物なので切り離しておかないと、予想通りにならなかったときにまた落ち込んで「もっとこうしないと!」とますます強いべき子ちゃんになってしまいます。

自分で言うのもなんですが、私はかなり強いべき子ちゃんです。大概の人には勝てます。全然自慢にならないけど!
幸い自覚できているので、ことあるごとに「またその考え方になっている!今お前はどうしたいんだ?」と立ち止まったり「お前がしないといけないことなんて別に無いよ。やらなくったって周りはなんともならないよ」と落ち着かせる練習をしています。

きっと皆さんの中にも、皆さんの周りにもべき子ちゃんと思い当たる人がいるのではないでしょうか。べき子ちゃんのままでいても良いことはあまりないので、気付いた人はぜひ、考え方を和らげていく練習をしてみてください。「しないといけないこと」なんて、ほとんどありません。

目線をもどす

テストが返ってきたら、解答用紙を授業に持ってきてくれます。子どもたちはそれぞれ「この問題できてん!」とか「変なミスしてしまった〜」とかひと通り感想を話してくれます。私も解答用紙を見ながら気づいたことをあれこれと話します。

特に、このテスト後の会話の中で「目線をもどす」ことが必要な場面がよくあります。
それは例えば子どもが「自分は前よりできたけど、平均点より下やしな〜」とか「これが合っていてい嬉しかったけど、まわりの子はもっとできてたしな〜」というようなことを言った時です。

話を聞いていて「自分の頑張りを他と比べて認めないようにしているな…」と感じた時、その自分の頑張りに目線をもどさせるような言葉かけをすることを意識しています。

「この問題はテストに出たら絶対解いてみてねっていっぱい練習したところをちゃんと解いている!しかも丸をもらっている!すごいじゃん」
「ここ、あんなに間違えやすかったのに本番でできてるじゃん!」
「あれ、このスペル書けたの?あんなに嫌だと言っていたから私ももうそれは無理しなくていいんじゃない?って言ってたのに。まさかあれから練習したの?すごいじゃん」
など、どんな些細なことでも見つけて褒めて気づかせます。よいしょよいしょと引っ張ってでも自分の頑張りに目を向けさせます。
テストを例に挙げましたが、もちろん他の場面でもあります。「あ!」と思ったときはこっちを見て!ともどさせます。

「自分を認める」ことの積み重ねが次も頑張れる原動力になると考えているからです。それに「自分を認められる」人は強い人です。「うぬぼれ」とか「自分に甘い」とかに誤解されやすいし、自分でもそれと勘違いしてしまいがちだけど、そこを見極められるところも含めて強さだと思います。

とても必要なことなのに、大人になるにつれて自分を認めづらくなってきます。いろんな経験をしたりいろんな人を見て見極めるのが難しくなってくるからかなと思います。周りもそんな褒めてくれる人はいないし。
だから今のうちに、いろいろとまだシンプルなうちに、少しでも「自分を認められる」力を蓄えておくのがいいよなと思ってやっています。1対1の空間はそれがやりやすい場でもあるのです。

場所を変える

長いあいだ同じことで悩んでいる、同じような悩みを繰り返してしまう…という経験はありませんか?私はそれがずっとありました。そんな時に試してみた方法がうまくいったので、それについて書こうと思います。

タイトルにもあるように「場所を変える」ことです。物理的に環境を変えて、目に入る景色を変えるようにしました。
これが効果てきめんで「なんで今まで気づかなかったんだろう?」と不思議に思うくらい身近なことへの気づきがあったり、今まで「考え方を変えよう」と努力してもなかなかできなかったのに、自然と考える方向が変わってきていることもありました。

自分自身は何も変わっていないんだけど、場所を変えることで、景色が変わる。通る道が変わる。時間配分が変わる。などなど些細なことでも自分を取り巻く環境が変化することで、今まで見ていなかったところが目に入ったり、同じものでも違う角度から見えるようになったりして、自然と感じ方が変わって考えることも変わるのかなぁ〜と思います。

変えることは効果的なのですが、同時にけっこうむずかしいことでもあります。人って「変化を恐れる」とよく言われていますよね。だからガラリと変えなくても、本当に小さなことでも良いと思います。

例えば私は授業中、子どもの調子がどうも良くなさそうだなと感じたときは「こっちの机でやってみる?」とか「私のシャーペン使ってみる?」とか提案します。そうすると、にっこりしてさくさく進むようになったりもします。

同じ悩みから抜け出せなかったり、考え方を変えたいけど変えられない状況のときの一つの方法として「場所を変える」ことや「どんな小さなことでも物理的なことを変えてみる」ことはおすすめです。

目指しすぎない

「こうなりたい」とか「これをできるようになりたい」とか目標を立てることは悪いことではないのだけれど、そこを目指しすぎるのは良くないのかもなぁと最近思うようになってきました。

力んでしまうこと、視野が狭くなること、その過程で目標との少しのズレにいちいち傷ついてしまうこと…。自分や周りを疲れさせる罠がたくさんあるように思います。
目標を持って頑張っているつもりだったのに、いつの間にか「こうしないといけない」ばかりが増えて自分を縄でぐるぐるに縛っていたり。

手の届く範囲のことを、楽しみながらできているか?力が入っていないか?を自分と確認し合いながら進めていくことが大切だと思います。私はついつい力が入ってしまうタイプなのでこのことを思い出すようにしています。

それに「しないといけない」が増えてくる目標はたぶんちょっと違うような気がします。目標を見直すサインとして受け取るのがいいのかなと思います。

腹が立つとき

相手に「腹が立つ」という感情は、ものすごくパワーを使うので疲れてしまいます。なるべく腹なんて立てたくないのですが、その感情自体を抑えるのは難しいことだと思います。

私は腹が立ったとき…というか、ひと通りイライラぷんぷんして、ふと「あ、私すごい怒ってる…!」と自覚できたとき、その相手に向けている目線を自分に向けるように努力しています。相手に対して腹が立つときって、自分の中の何かを守ろうとしているときだと考えているからです。

例えば、自分の触れられたくない部分を刺激されたとか、自分の譲れない部分を脅かされそうだとか、自分が一生懸命したことは相手には全く意味がなかったと気づいてしまったけどそれを認めたくないとか。

自分は何を守ろうとしているんだろう?と探っていく過程で怒りの感情をいったんストップすることができるし、それが何か自分なりに分かったとき、結局それって自分を守るために相手の行動をコントロールしようとしているのでは?と気づいてそのことにゾッとして、もうやめよう。と落ち着くことができます。うまくいけば…。
なるべくイライラぷんぷんの時間を短くできればいいな、と思って私は練習中です。
共感してくださる方はぜひ試してみてください。

決めすぎない

誰かに言われた言葉に知らないうちにずっと縛られていることがあるなぁと思うことがあります。
例えば、ともだちに「○○ってちょっと暗いよね」と言われた言葉で「そうか、私は暗い性格なんだ」と思うようになってその後も「暗い性格」をベースに生きている、みたいなことです。

そうやって自分の性格を決めつけてしまうことで、
自分は暗いから、これはできないだろうなぁ。
自分は暗いから、うまくいかなかったんだ。
自分は暗いから、たぶんしんどくなると思うしやめとこう。など、自分の行動を狭めてしまっていることがあるかもしれません。
そう言われたときは暗いところがあったかもしれないけど、それがずっと変わらないということはありません。一時の自分の性格で決めつけてしまって、その後の変化を受け入れる隙をなくしてしまっているかもしれません。

また、相手に対して決めつけてしまうこともあると思います。
この人はこういうところがあるから、自分とは合わないだろう。
この子はこういうところがあるから、これをさせるのはやめておこう。
この上司はこういうところがあるから、言っても無駄だろう。など…。
試してみてうまくいかなかった反省としてのことなら良いのですが、初めから決めつけてしまって可能性をひとつ無くしてしまっているのはもったいないですよね。

ちょっと息苦しいなぁとか、動きにくいなぁと感じたときに見直すことのひとつとして「いつの間にか、何かを決めつけてしまっていないか?」を項目に入れてみるのも良いと思います。変化を見逃さないことは、楽に自然に生きるためにはすごく大事なことだと思います。