帳尻あわせ

何かすごくストレスを感じた時、自分を保つため、もっと言うと生きのびるために、人は自分の意識と関係のないところで、ちゃんと帳尻をあわせているんだな。ということを、私は実体験と共に学びました。そのことについて書いておこうと思います。

私の場合、まだまだへなちょこ人生の中でも超ヘビー級の悲しい出来事があったときに、それまで何にも気にせずできていたことができなくなりました。それまで楽しく関わっていた人たちと、どう関わったらいいのかわからなくなりました。

決して「やりたくない」でも「関わりたくない」でもないんです。正直、今でもなぜなのか分からないくらいなのですが「そうせざるをえない」というのが一番近いと思います。その悲しい事と自分の生活のバランスを取るための帳尻あわせだったのだと考えています。
だから「なんでなの?なんでできないの?」と言われてもうまく答えられないんです。

で、このことは他の様々な問題にも当てはまると思うんです。例えば不登校です。

その子に何か大きなストレス(お家でのことや習い事、自分自身のこと、ストレスの内容は決して学校に関わるものだけでは決ありません)がかかった時の帳尻あわせのための一つの行動だと私は思います。

自分を守るための一つの行動なので「行きたくない」というよりは「行けない」の方が強いんじゃないかな?
そうせざるをえないから「どうして行かないの?」と言われても困ってしまうのだと思います。
私は不登校の子の話を聞く機会がありますが「自分でもはっきり理由がわからない」という子は少なくないです。

「学校に行っていない」という事実は置いておいて、その背景にはどんなストレスや不安があるのだろう?と一緒に探っていくことが大事なのだろうと思います。

子どもはまだ行動範囲も狭いし、ストレスや不安を抱えておくことも解消することにも経験が少ないので、
学校に行けなくなったり、暴言をはいたり、万引きしたり、いじめたり、嘘をついたり……
「それは違うんじゃない?」と思うことでも、それをして何とか自分を保って、集団の中を生きているのではないかと思うのです。

問題行動に対して叱ることも必要だと思います。悪いことは悪いことなので。でもそれとは別に「これは何かと帳尻をあわせているのでは?」とその子の内側に向ける目を忘れないでいようといつも思っています。