いつもとなり合わせ

最近の気づきについて書こうと思います。

大人(と言われる年齢)になってから、楽しいことを純粋に、単に楽しむということができなかったり、休みの日なのにダラダラしていると「こんなんでいいのかしら…」とどこか不安がつきまとったり。
子どもの時は、楽しい時は楽しい!!で100%、休みの日はたくさん眠ってスッキリ!!だったのに。

そんなことってないですか?きっと私だけじゃないと思うんです。
ずっとずっとこのモヤモヤは何だろう?と考えていたのですが、最近ふと思ったことがあります。

90歳を越えたうちのおばあちゃんが、秋のパリッパリに晴れた日に庭で日向ぼっこをしていたんです。
時々空を見上げて「いい天気だねぇ」とか言いながら。

その姿を見て、私は「あ〜なんて素敵な光景なんだろう。幸せなおばあちゃんだねぇ」とか思ってほこほこな気持ちになっていたんですが、
それと同時に「来年の秋もこの光景が見れるんだろうか。おばあちゃんはあと何回いい天気の日向ぼっこができるんだろう」とかも考えてしまっていました。

その時に「あ、また私はこんなことを考えてしまっているな。幸せな気持ちになったのにどうしてそれだけで終われないんだ?どうして暗いことも一緒に考えてしまうんだろう」と思ったんです。

そして「そうか、もうこれは仕方のないことなのかもしれない。大人になるにつれていろんな側面が自然と見れるようになってきてしまったから。もうこれは『見ないでおく』というのは難しいことで、そういう側面もあることは認めて、それでも楽しい幸せな方に少し多く目を向けれたらそれでいいのかも」と考えが廻りました。

不安とか切なさは、幸せなことといつもとなり合わせにある。
年齢を重ねることで様々なことを見たり感じたり考えたりしているから、良い面だけを見るのは難しい。
どうしてもそれに伴って反対の面も見えてしまう。
そうであることを認めて「でもやっぱりこうだと良いよね」と良い面の方が少し比重が多くなるくらいで見て大切ににしていけたらそれで良いと思う。

私のちっぽけな人生経験の中で、今の自分への答えがひとつ見つかったような気がします。